穂高岳(3190M)-スキー登山(2005年5月17日-18日)




穂高岳に行ってきました。上高地から8時間かけて涸沢まで登り、涸沢ヒュッテにて1泊。翌朝午前7時に涸沢ヒュッテを出発し午前10時頃白出しのコル(奥穂高山荘のあるところ、2983M)まで登り滑降を開始。涸沢ヒュッテ横をいっきに通過し、 本谷橋手前の標高1900M付近までスキーで滑降。そこからはスキーを担いで上高地まで下る。3000Mの稜線から標高1900M付近の本谷橋手前 まで1時間もかからずに着く。やはりスキーでの下りは早い。

今年はゴールデンウイークを過ぎてから低温が続き、異常と思えるほど雪の日(涸沢より上部)が多く、これを作成している5月24日も穂高や槍ヶ岳の稜線では3日間雪が降り続けています。入山(5月17日)の2日前も風雪で稜線では数十センチの積雪があり、標高2000M付近まで新雪が積もったようです。涸沢カールのいたるところに雪崩のデブリがあり、少々驚きました。雪崩は17日の昼頃にかけて多発したとのことでした。



5月17日 上高地 河童橋付近から新雪に輝く奥穂高岳。17日は終日ピーカンでした。




横尾(1600M)に到着。コースタイム的には3時間のところだが、兼用靴で上高地から1時間ほど歩いたところで靴擦れを心配してスニーカーに履き替えたり、食事をしたりで4時間かかってしまった。




横尾から1時間強歩き本谷橋(1800M)に着く。ここから画像左の急な(屏風岩下部の)森林帯に取り付く。ゴールデンウィークの頃なら沢沿いに直登できるらしいが、ご覧のように沢がでているので夏道沿いに登る。またここから完全な雪道になるので兼用靴に履き替える。




ここはSガレと呼ばれるところで標高2100M位。右前方にやっと奥穂高が見えてくる。登りは辛かったが、帰りににはスキーであっという間に通過。




やっと宿泊地の涸沢ヒュッテが見えてくる。ここからがきつかった、ヒュッテが見えているのになかなか近づかない。




なんと上高地から8時間かかって涸沢ヒュッテ(2300M)に到着。午前8時上高地→午後4時涸沢。板と兼用靴を担ぐと20KG近い重さになり、涸沢ヒュッテに到着したときは肩が腫れていた。この画像は17日夕方撮影。左が奥穂高岳(3190M)、右が涸沢岳(3103M)。中央のコルが白出しのコル(奥穂高山荘のあるところ、2983M)。この日(5月17日)、新雪雪崩が涸沢カール全域で多発。





涸沢ヒュッテから見た北穂岳と北穂沢。最初北穂沢を滑る予定だったが、翌日の天気が悪そうなのと、ご覧のようにインゼルと呼ばれる中間部の急斜面にかなり岩が出ているので北穂沢は止めた。というか翌日、上高地まであの長い道のりを板と兼用靴を担いで下ることを考えたらこれ以上登らないで涸沢ヒュッテから下ろうかと思った。5月の涸沢は初めてだし(注1)、これだけの大パノラマを見ただけで満足だと思った。ゴールデンウイークの頃のインゼルがまだかなり雪に埋まっている画像と比べてみてください。下のボタンをクリックすると画像が切り替わります。






5月18日は朝のうち薄曇り後雨。18日午前0時の涸沢ヒュッテの室外温度計は0度でした。
天気予報では日本海の低気圧が北上しているので18日は悪天とのことだったが、なんとか午前中だけでも天気がもてばと思いながら昨夜就寝する。18日午前5時半に起き、空を見ると薄雲があるものの稜線に着くまでの数時間は持つと思い、とにかく登れる所まで登って天気が悪化したらそこから滑降すればいいと白出しのコルを目指して登りだす。登りながら滑降コースの下見をする。




デブリの下端に到着。出発時は新雪の表面が凍っていたっがこのあたりから雪が緩んできて、足首からすねくらいまで潜る。体力の消耗をできるだけなくす為トレース沿いに登って来たが、ここからデブリにトレースが消されていたので、デブリの右に沿って登る。




さらに登る。標高2700M付近から見た前穂北尾根。左端のコルが5.6のコル。次回、涸沢に来たら5.6のコルからの滑降を組み入れたい。5.6のコルからはご覧のようにすばらしい斜面です。




標高2800M付近から涸沢を見る。中央下の屋根が光って見えるのが涸沢ヒュッテ。小豆沢はご覧のように新雪デブリで埋まり滑降不可。(斜滑降で横切る程度ならできないことはないです)




途中軽く食事をとり、涸沢から3時間かけて奥穂高山荘のある白出しのコルに到着。さすがに稜線は風が強く、また完全に厚い雲がかかってきたので軽食を摂った後早々に滑降を開始することにした。とにかくガスにまかれる前に稜線に着いたので一安心。涸沢までスキーなら15分もあれば下れます。
稜線に着いた午前10時の外気温は推定2度。槍ヶ岳山荘ホームページ気象業務支援センターの過去の観測データを参考にしました。




滑降開始!

稜線から10Mも下ると風が格段に弱くなったので余裕で写真を撮る。ただ急斜面でも横滑りしないくらい雪が重くターンが少々しずらいがそこそこ快適!小豆沢はデブリで滑降困難なため、ここから左にコースをとりザイテンの上部斜面から涸沢岳基部に回り込む。




涸沢岳基部に回り込んだところ。左がザイテン、右が涸沢岳。このあたり雪質が安定して滑りやすいが、曇り空の為斜面状況が見えずらい。




北穂南稜を左に見ながら滑降。高度や傾斜もかなり落ち、ここで一服。穂高の3000Mの稜線から滑ったという充実感が沸いてくる。左ひざの具合もよく上高地まで無事に下山できると確信する。




涸沢ヒュッテ付近まで下り、滑降コースを見上げる。線が登り、線が滑降コース。




涸沢ヒュッテを通過し、標高1900M付近の本谷橋手前の急な森林帯の下りが始まるこの付近でスキー板を外す。ここまでせいぜい3000Mの稜線から1時間程度。ここで小休止し、板をザックに取り付け10分程度下り本谷橋に着く。本谷橋で兼用靴をスニーカーに履き替える。




横尾の少し手前から雨が降り出し、小雨降る河童橋に午後4時半頃無事到着。スキー板を担いでからが長い道のりだった!明神館の山菜そばが旨かった!おつゆまで全部飲み干す!





管理人、実は左膝を6年ほど前に変形性膝関節症と診断されたんです!その当時は寝返りをうっただけで痛くて目を覚ましました。それで10年近く山スキーのブランクあったりしたんです。それと今回も18日に涸沢から上に登らず、下山しようかと思ったのも、もしここで膝への過度な負担から左膝が痛み出したら上高地まで自力で下山できなくなると思ったからです。

10キロの減量と脚の筋力アップトレーニングを通年続け、昨年やっと登り3時間程度の山なら登れると判断し、また下りにスキーを使えば膝への負担も少なくてすむと思い山スキーを再開したんです。変形性膝関節症になる前の富士山スキー登山の時は体重78Kで現在は68Kです。今でも膝への負担を考えたら富士山の日帰り登山などできないんです。体力や筋力的にはできるんだけど...膝が..。

15年ほど前、スキーがうまくなりたくて毎週ゲレンデに通っていた頃、左膝内側靭帯を痛め、放置したまま数年間毎週ゲレンデ通い(夏のグラススキーや11月の狭山スキー場など入れたら年間50日以上滑った年もありました)を続けていたら変形性膝関節症になってしまったんです。

大学病院で変形性膝関節症と診断された時、「直りますか?」と医者に聞きました。医者は即座に「一生直りません」と答えました。その時私は、登山は言うまでも無くスキーさえ一生できなくなるのかと思い大変なショックでした。その後私は登山はむりでもスキーができるくらいまで絶対に改善させるぞ、と強く心に決めました。
変形性膝関節症について学び、強い一念で症状の改善に努めました。グルコミサンとコンドロイチンの摂取とトレーニングを始めてから2年ほどしたら、日常生活では正常に歩けるよになり(階段の上り下りを含め)、ハードな滑りをしなければスキーが再開できるのではと思えるようになりました。
この続きは後日



とにかくここはアプローチが長い!上高地から涸沢まで17KM程をスキーを担いで登らなければならないので、気軽に春山スキーを楽しむ向きには安易に薦められません。中央アルプスの宝剣、乗鞍、白馬乗鞍、立山みたいにバスやロープウェイを降りたら一面の銀世界で雪道を登り、スキー滑降が終わったら歩かないですむ所とはわけが違います。
巨大な涸沢カールの底から見上げた穂高連山の美しさはアプローチの長さを忘れさせてくれることでしょう。とにかく好天の日を選んで入山してください。管理人もできれば日程がとれれば2泊したかった、1泊ではもったいないです。

来年はアプローチのない立山や剣岳にするか、またはアプローチが長い穂高岳や槍ヶ岳にするか迷ってます。



下の画像は15年以上前の管理人で、黒部ダムで撮ったものです。確か6月の初め頃で剣沢にテントを張って剣岳の八ツ峰等を登りました。テント、ザイル、8ミリカメラ(ビデオカメラではなくアナログ)を背負っていたので荷物は40s以上になりました。この頃は登山ばかりでスキーはかじった程度しかしていませんでした。




注1:5月の涸沢は初めてだけど、過去に1月の上高地-西穂-奥穂-涸沢岳-新穂高温泉、5月の上高地-槍沢-槍ヶ岳-奥穂-岳沢、5月の北鎌尾根-槍ヶ岳-槍沢-上高地、7月の涸沢-奥穂、涸沢-前穂北尾根等あります。









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